GNSSのサイクルスリップとは? — 数えていた波の本数が飛ぶ瞬間と、規程に名前が出てこない理由


GNSSのサイクルスリップとは? — 数えていた波の本数が飛ぶ瞬間と、規程に名前が出てこない理由

GNSSのサイクルスリップとは? — 数えていた波の本数が飛ぶ瞬間と、規程に名前が出てこない理由

波の本数が飛びます。

FIXしていた解が、林縁を通った一瞬でFLOATへ落ちた。数十秒後には何事もなかったように戻る。あの数十秒、受信機の中では何が失われていたのでしょうか。

答えはそれまで数え続けていた搬送波の本数です。これをサイクルスリップと呼びます。ところが——公共測量の規程を全部たどっても、この語はどこにも出てきません。


受信機は「距離」ではなく「波の本数」を数えている

cm級の測位ができるのは、受信機が電波の搬送波そのものの位相を見ているからです。L1帯の波長はおよそ19cm。この波が衛星から自分まで何本ぶん並んでいるかが分かれば、距離が19cm刻みで、しかも位相の小数部まで読めば数mm刻みで決まります。

問題は、受信機に測れるのが小数部だけだということです。いま届いている波が1周期のどのあたりかは読めても、「何本目の波か」は電波に書いてありません。この整数部分が整数値バイアスで、これを推定して確定させる作業がFIXです。詳しくは整数バイアスを決めるしくみの回にまとめました。

一度FIXすれば、あとは受信機が波を1本ずつ数え続けるだけで済みます。この「数え続ける」が途切れる事故が、サイクルスリップです。


何が起きているのか

受信機は搬送波を追いかけるためにPLL(位相同期回路)を回しています。信号が弱くなる、あるいは一瞬でも途切れると、この追尾が外れます。追尾が復帰したとき、位相の小数部は再び読めるようになりますが、途切れているあいだに何本の波が通り過ぎたかは分かりません

結果として、それまで積み上げてきた本数のカウントが、整数本ぶんだけ飛んだ状態で再開します。1本飛べば19cm、5本飛べば1m弱。しかも受信機はエラーを出しません。値としては連続しているように見えるので、気づかなければそのまま解析に流れます。

きっかけは、だいたい次のどれかです。

  • 遮蔽:樹木の枝葉、電柱、橋桁、トラックの車体。一瞬でも視線が切れれば起きます
  • 低仰角:地平線近くの衛星は信号が弱く、途切れやすい。仰角マスクを15度で切る理由のひとつがこれです
  • 電離層の擾乱太陽フレアで電離層が荒れると、信号強度が短時間で上下します
  • マルチパス:反射波が直達波と干渉すると、位相そのものが乱れます。Fixが不安定になる現象の一部はここに帰着します
  • 受信機側の要因:アンテナケーブルの接触、電源の瞬断、強い電波干渉

後処理とRTKで、現れ方がまったく違う

同じ現象でも、観測方法によって見え方が変わります。

スタティック法(後処理) RTK法・ネットワーク型RTK法
いつ分かるか 解析時 その場(画面のFIX/FLOAT表示)
何が起きるか 解析ソフトが検出・修復するか、当該区間を捨てる FIXが外れ、再初期化が走る
残る影響 使えるデータが減り、解が弱くなる 再FIXまでの数十秒が測れない
見落としの危険 修復に失敗しても数値は出る 画面に出るので気づきやすい

現場で怖いのは後処理側です。RTKなら「FIXが外れた」と画面が教えてくれますが、スタティックの生データを持ち帰った時点では何も分かりません。RINEXに何が記録されているかを知っておくと、解析ログの読みどころが変わります。

なお、RTKで解が落ちる原因はスリップだけではありません。補正データが届かなくなるNTRIP接続の切断でも同じ表示になるので、画面だけでは切り分けられないことも覚えておく価値があります。


ここが本題——規程に「サイクルスリップ」という語は無い

これだけ現場に効く現象なのに、公共測量の規程類を探しても、この語は出てきません。

国土地理院「マルチGNSS測量マニュアル(案)解説」(令和2年6月)を全文あたっても、「サイクルスリップ」「再初期化」「データ品質」のいずれの語も現れません。「初期化」が1度だけ、キネマティック法の定義のなかで「初期化(整数値バイアスの決定)」として出てくるのみです。

では規程は何も手当てしていないのか。していないのではなく、結果の側から縛っています。

二 GNSS 観測による基線解析の結果は FIX 解とする。
(作業規程の準則 第38条「観測値の点検及び再測」/同マニュアル解説より引用)

サイクルスリップが残っていれば、まずFIXしません。仮にFIXしても、成果は点検計算の網に掛かります。

点検項目 許容範囲(Nは辺数)
基線ベクトルの環閉合差(水平ΔN・ΔE) 20mm√N
基線ベクトルの環閉合差(高さΔU) 30mm√N
重複する基線ベクトルの較差(水平) 20mm
重複する基線ベクトルの較差(高さ) 30mm

(作業規程の準則 第42条の点検計算より)

波1本=約19cmですから、スリップが1本でも残っていれば、この許容範囲を軽々と突き抜けます。 つまり規程は「サイクルスリップを検出せよ」とは書かず、「FIX解であること」と「閉じること」を要求することで、間接的に排除しているわけです。

現象名を規定しないのは、むしろ合理的です。 検出と修復のアルゴリズムは解析ソフトごとに違い、日々更新されます。手段を条文に固定してしまうと、ソフトが進歩したときに条文のほうが足を引っぱる。だから規程は出口の品質だけを決めている——そう読むと、点検計算の位置づけが変わって見えてきます。


観測方法の標準値を「スリップ耐性」で読み直す

マルチGNSS測量マニュアルの観測方法の標準は、次のとおりです。

観測方法 観測時間 データ取得間隔
スタティック法(2周波・10km以上) 120分以上 30秒以下
スタティック法(3周波・10km以上) 90分以上 30秒以下
スタティック法(10km未満)・3〜4級 60分以上 30秒以下
短縮スタティック法 20分以上 15秒以下
キネマティック法 10秒以上(10エポック以上) 5秒以下
RTK法・ネットワーク型RTK法 10秒以上(FIX解を得てから10エポック以上) 1秒

この表を精度の話としてではなく、「途切れたときにどれだけ余力があるか」の表として読むと、別の意味が立ち上がります。

  • 観測時間が長いほど強い。120分のうち5分ぶんを捨てても、残りで解けます。一方、短縮スタティックの20分は余力が薄い。同じ5分が致命傷になります。スタティックの観測時間をどう決めるかは、この余力の設計そのものです
  • RTKの「FIX解を得てから10エポック以上」は最低ラインです。取得間隔1秒なら10秒。この10秒のあいだにスリップが混ざれば、条件を満たしていても中身は疑わしい。FIXの表示が出た瞬間に測るのではなく、数十秒眺めてから測るのは、ここに効きます

冗長性がいちばんの対策になる

複数の測位衛星から補強信号と測距信号を受け取るGNSS受信機の模式図

サイクルスリップは衛星ごとに独立に起きます。ある衛星の追尾が外れても、他の衛星が生きていれば、解は組み直せます。だから対策の本体は「起こさない」ではなく、「1本落ちても足りる状態にしておく」ことです。

規程の使用衛星数の標準も、そう読めます。

GNSS衛星の組合せ スタティック法・短縮スタティック法 キネマティック法・RTK法
GPS・準天頂衛星 4衛星以上 5衛星以上
+GLONASS 5衛星以上 6衛星以上
+Galileo 5衛星以上 6衛星以上
GPS・準天頂・GLONASS・Galileo 6衛星以上 7衛星以上

(複数の衛星測位システムを併用する場合は、各システムについて2衛星以上を用いること)

キネマティック・RTKの側が1機ずつ多いのは、動きながらでは失った衛星を取り戻す時間が無いからです。複数の衛星系を併用する実利は精度より先に、この「落ちても残る」ところに出ます。


現場でできること

  • 上空を塞がない場所を選ぶ。枝の下、橋桁の際、車の陰を避ける。選点の段階が最大の対策です
  • 仰角マスクを規程どおり15度に。低い衛星は追尾が外れやすく、外れた本人が誤差も大きい
  • 観測中にアンテナを動かさない・ケーブルに触れない。人が横を通るだけでも遮蔽になります
  • RTKはFIX表示の直後に測らない。数十秒安定を見てから記録する
  • 後処理は解析ログを見る。スリップの検出・修復件数を出すソフトが多く、異常に多い時間帯は再測の判断材料になります
  • 余力を持って観測する。標準時間ぎりぎりで切り上げない

まとめ

  • サイクルスリップとは、搬送波の本数のカウントが整数本ぶん飛ぶ現象。L1帯なら1本で約19cm
  • 原因は遮蔽・低仰角・電離層擾乱・マルチパス・受信機側の瞬断。エラーは出ない
  • RTKでは画面のFIX落ちとして見えるが、後処理では持ち帰るまで分からない
  • 作業規程の準則にもマルチGNSS測量マニュアルにも「サイクルスリップ」という語は無い。代わりに「基線解析の結果はFIX解とする」と点検計算の許容範囲で締めている
  • 環閉合差の許容は水平20mm√N・高さ30mm√N。波1本ぶんの19cmは、この網に必ず掛かる
  • 対策の本体は冗長性。衛星数と観測時間の余力が、そのままスリップ耐性になる

FIXが落ちた数十秒を「たまたま調子が悪かった」で流さずに、何本ぶんが飛んだのかという単位で考えられるようになると、点検計算で弾かれたときの原因の探しどころが一段はっきりします。

出典

  • 国土地理院「マルチGNSS測量マニュアル(案)ー近代化GPS、Galileo等の活用ー 解説」令和2年6月 https://psgsv2.gsi.go.jp/koukyou/public/multignss/multi_gnss_kaisetsu.pdf
  • 国土地理院「作業規程の準則」 https://www.gsi.go.jp/gijyutukanri/gijyutukanri61018.html
  • 国土交通省告示第413号「作業規程の準則」(本文PDF) https://psgsv2.gsi.go.jp/koukyou/jyunsoku/pdf/h28/H28_junsoku_honbun.pdf

本記事の記述は2026年9月時点で公表されている資料に基づきます。「規程に語が無い」という記述は、上記マルチGNSS測量マニュアル(案)解説の全文を対象に確認したものです。同解説は準則の条文を一部「(中略)」で省略して引用しているため、準則本体の省略部分については確認できていません。準則は改正されることがあるため、公共測量として実施する際は必ず最新版の条文をご確認ください。


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