GNSSの電波はどれくらい弱い? — 地表で1京分の1ワット、雑音より18dB下の信号を受信機が拾える理由


GNSSの電波はどれくらい弱い? — 地表で1京分の1ワット、雑音より18dB下の信号を受信機が拾える理由

GNSSの電波はどれくらい弱い? — 地表で1京分の1ワット、雑音より18dB下の信号を受信機が拾える理由

GPSのL1 C/A信号が地表に届くときの規格上の最低電力は −158.5 dBW、およそ1京分の1.4ワットです。 これは同じ受信帯域に入ってくる熱雑音より約18dB(約60倍)弱いという意味で、素直に測ればノイズにしか見えません。それでも測位できるのは、受信機が拡散符号との相関でおよそ43dB分を稼いでいるからです。現場で起きる「木の下でFixしない」「建物際で切れる」の正体は、この薄氷の上に立っている数字にあります。


数字を並べてみる

項目 備考
衛星の送信電力(L1帯) 25W級 白熱電球程度
衛星までの距離 約20,200 km 天頂方向。地平線寄りだと約25,000 km
自由空間伝搬損失 約182.5 dB 1575.42 MHz・20,200 km
地表での最低受信電力(L1 C/A) −158.5 dBW IS-GPS-200 の規定値
ワット換算 約 1.4×10⁻¹⁶ W =約1京分の1.4ワット
dBm換算 約 −128.5 dBm

25Wで送り出したものが、地表に着くころには 1.8×10¹⁷分の1 になっています。送信電力を10倍にしたところで10dBしか改善しません。GNSSは最初から「弱い電波を前提にした仕組み」として設計されています。

比較を挙げると、スマートフォンがWi-Fiルータのそばで受け取る電力はおよそ −60 dBm 程度です。GNSSの −128.5 dBm はその約700万分の1にあたります。

雑音のほうが強い

問題は絶対値ではなく、雑音との比です。

熱雑音の電力密度は、絶対温度290Kのとき

N₀ = kT ≈ −204 dBW/Hz

です(k はボルツマン定数)。C/A信号を受けるのに必要な帯域はおよそ2.046 MHzなので、その帯域に入る雑音電力は

−204 + 10·log₁₀(2,046,000) ≈ −204 + 63.1 = −140.9 dBW

信号は −158.5 dBW。つまり

信号 − 雑音 = −158.5 −(−140.9) = 約 −17.6 dB

信号のほうが雑音より約18dB(約60倍)弱い。 スペクトラムアナライザで眺めても、GNSSの信号は雑音の床から顔を出しません。「そこに何かある」ことすら、そのままでは分からないのです。

それでも取り出せるのは、拡散符号のおかげ

GNSSの信号はスペクトラム拡散という方式で送られています。50 bpsの航法メッセージに、1.023 Mchips/s の擬似ランダム符号(C/Aコード)を掛け合わせ、わざと帯域を千倍以上に広げてから送信しています。

受信機側は、同じ符号の複製を自分で作り、受信波と掛け合わせて積算します(相関)。符号が一致したときだけ信号成分が積み上がり、雑音は打ち消し合って残りません。このとき得られる利得が拡散利得(処理利得)です。

拡散利得 = 10·log₁₀(1,023,000 ÷ 50) ≈ 43 dB

先ほどの −17.6 dB にこの43dBが乗るので、

−17.6 + 43 ≈ 25 dB

ここまで浮き上がって、はじめて復調できる信号になります。「雑音に埋もれた信号を掘り出す」という言い方は比喩ではなく、文字どおりの手順です。

現場で見る数字は C/N₀

帯域を決めて計算した「信号対雑音比」は帯域幅しだいで値が変わってしまうので、GNSSでは帯域に依らない C/N₀(搬送波電力対雑音電力密度比、単位 dB-Hz) を使います。

C/N₀ = −158.5 +204.0 = 45.5 dB-Hz

これが規格上の最低保証値です。実際には受信機自身の雑音指数(NF)で数dB下がり、逆に衛星が真上に来ていれば規格値より数dB高く受かります。観測画面のC/N₀が45 dB-Hz前後で並んでいれば、その衛星は「規格どおり」に届いているという読み方ができます。

そこから何dB落ちているかが、そのまま遮蔽や減衰の量です。

マルチパスによってRTKのFixが不安定になる状況の図解

「弱い」ことが現場でどう出るか

樹冠の下:葉と枝は1575 MHz帯を吸収・散乱します。針葉樹林の中では数dBから十数dBの減衰が普通に起き、C/N₀が30 dB-Hz台まで落ちれば搬送波位相の雑音が増え、整数値バイアスが決まらなくなります。林内で「電波が入らない」のではなく、もともと雑音以下の信号がさらに削られて、相関で拾いきれなくなるわけです。

建物際・車内:ガラスやボディでの減衰に加えて、反射波(マルチパス)が直達波と同程度の強さで混ざります。直達波がもともと弱いので、反射波が相対的に効いてしまいます。

干渉・妨害:これがいちばん露骨です。地表で1京分の1ワットしか届いていないところへ、数ワットの妨害波を出せば桁違いの強さになります。GNSSが意図的な妨害にも、意図しない雑音源(劣化した電子機器、不適合なアンテナ用DC重畳など)にも弱いのは、この電力差が理由です。現場で急に全衛星のC/N₀が一斉に下がったら、遮蔽ではなく帯域内の干渉を疑う価値があります。

アンテナが効く理由:受信電力を上げる手段が「良いアンテナ」しかありません。利得の高い測量用アンテナ、グラウンドプレーン、チョークリングは、どれも「弱い直達波を少しでも稼ぎ、反射波を減らす」ための道具です。受信機の性能より先にアンテナを見直すべき、と言われるのはここに理由があります。

まとめ

  • L1 C/A信号の地表での最低受信電力は −158.5 dBW ≒ 1.4×10⁻¹⁶ W(約1京分の1.4ワット)
  • 帯域2.046 MHzの熱雑音は約 −140.9 dBW。信号は雑音より約18dB弱い
  • 拡散符号との相関で 約43dBの拡散利得を得て、はじめて復調できる
  • 帯域に依らない指標が C/N₀。規格上の最低保証は 45.5 dB-Hz
  • 樹冠・建物・車内での減衰も、干渉に弱いことも、すべて「元がこれだけ弱い」ことの帰結
  • 受信電力を稼げる手段はアンテナしかない。受信機よりアンテナを先に疑う

出典

  • IS-GPS-200(GPS Interface Specification, L1 C/A の最低受信電力 −158.5 dBW) https://www.gps.gov/technical/icwg/
  • GPS Signal Plan | ESA Navipedia https://gssc.esa.int/navipedia/index.php/GPS_Signal_Plan
  • GPS L1 Link Budget(送信電力25W=14.25 dBWの参考値) https://apps.fcc.gov/els/GetAtt.html?id=110032&x=

本記事の電力値は規格上の最低保証値および代表的なリンクバジェットに基づく参考値です(2026年9月時点)。実際に受かる電力・C/N₀は、衛星の仰角、アンテナの利得と設置状況、受信機の雑音指数、周辺の遮蔽物によって変わります。減衰量の幅も環境依存の目安です。


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